« 中国人が減ったから?西洋人の観光客が目立ってきました | トップページ | STOP!!飲酒運転 交通安全の集い講演聴講 »

2012年9月25日 (火)

ルーマニアの事件を思い出しました

◆MBニュース

 「生徒だけでソウルの一般家庭訪問」 韓国修学旅行に心配の声上がる

  竹島の領有権問題などで強い反日感情が韓国にまん延している今、韓国旅行をキャンセルするという日本人が増えている。

 そんな中、韓国への修学旅行を決行する高校がある。生徒や保護者からは、少なからず心配の声が上がっているようだ。

■通訳、大人の付き添いなしで家に上がる

 2012年9月11日、2ちゃんねるに、新潟県立新潟中央高等学校の生徒と見られる人物が「韓国修学旅行に行きたくない」と書き込んだ。

 生徒や保護者から提供された情報によると、旅行期間は10月16日から19日の3泊4日。旅行の内容は、「6、7人の班行動でソウル市内の一般家庭で食事をご馳走になる」「通訳も大人の付き添いもなく一般家庭に高校生だけでお邪魔する」というものらしい。

 新潟中央高校は元女子高で、いまだに学生の大半を女子が占めている。修学旅行に行く2年生は男子5人に対し女子338人だ。そうした事情もあり、旅行の内容を見た2ちゃんねらーは「性犯罪の多い韓国に、女子の多い学校が修学旅行に行くのはどうなのか」「日韓関係の悪化している時期に旅行に行くなんて…」などと疑問の声を上げている。

 新潟中央高校に問い合わせたところ、生徒が一般家庭を訪問する「ホームビジット」という企画は確かに行う予定だという。訪問する家は韓国政府の公的な部局に紹介してもらったもので、それぞれのグループに携帯電話を持たせる、訪問先の人に生徒の宿泊先から送迎してもらう、引率の教員が各家庭を巡回するということで安全対策を取るとしている。

 他には現地の高校生との交流、ソウル市内の観光を行う予定だが、やはり心配だという生徒や保護者は多く、旅行をキャンセルする生徒も少しだがいるという。学校は安全確保について説明する文書を、生徒を通じて保護者に配布するなどしている。

 なお、竹島問題については、韓国の観光公社のパンフレットと日本の韓国旅行ガイドブックを資料に、それぞれに記載された竹島の記述の違いについて話し合った。また、日本の教科書に書かれた竹島問題の部分をコピーして生徒に配布し、教科書にはこう書かれているということを再確認したとのことだった。

■「韓国から沖縄に変更になった」実例も

 新潟県では他にも、新潟青陵高等学校が10月下旬に韓国に修学旅行へ行く。学校の公式Facebookには、韓国の民族衣装であるチマチョゴリと見られる衣服を身につけた女性が、事前学習で生徒に韓国の文化や風習を教えている様子の写真が掲載されている。

 学校に安全面について問い合わせたところ、外務省の海外安全ホームページにある危険情報を確認しながら、細心の注意を払っているという。危険がありそうなら当然韓国行きはやめるとのことだった。

 このように学校は安全対策に慎重になっているようだが、やはり韓国に行くことに対する心配の声は根強い。Q&Aサイトの「Yahoo!知恵袋」では、「10月に韓国へ修学旅行に行くのですが、キャンセルしようと思ってます」「12月頃に学校の研修旅行で韓国に行きます。今よりは安全だと思いますか?」などと学生が投稿している。また、ツイッターでは「修学旅行は韓国だったらしいけど、危険だからって沖縄に変更になったそうな」「いっこ下の学年は修学旅行先を韓国から京都に変更したらしい」「妹の高校は韓国から京都奈良へ修学旅行先を変更した」など、実際に韓国行きをやめた例もツイートされている。

  J-CASTニュース 9月24日(月)18時42分配信

 家庭訪問もさることながら、旅行のスケジュールを見ると見学場所がすごい場所ばかりのようですので修学旅行の目的からして何やらあやしいようです。

(追記) 竹島の歴史啓発パンフより 

Take2_2竹島とは

一日も早い領土権確立を

●歴史的にみても日本の領土です

国際法に照らしても日本の領土です

 竹島が発見された正確な年月は不明ですが、遅くとも江戸時代初期には日本人に知られていました。

 1618(元和4)年ごろから米子の大谷甚吉、村川市兵衛たちが江戸幕府から許可を得て鬱陵島(当時「竹島」と呼ばれていた)へ渡り、アワビ、アシカ等の漁猟、木竹の伐採などを行っていました。この鬱陵島へ行く途中の寄港地として、また漁獲地として竹島(当時「松島」と呼ばれていた)を利用していました。1661(寛文元)年ごろからは、竹島へも正式に幕府の許可を得て渡航するようになりました。

 その後、幕府は朝鮮との争いのため、1696(元禄9)年に鬱陵島への渡航を禁じましたが、竹島については渡航を禁じませんでした。天保年間(1830~1843年)に浜田の今津屋八右衛門が禁令を破って鬱陵島へ行った廉で処罰されましたが、その裁判記録中には、竹島へ行く名目で渡海したとあります。竹島の知見は、書物や地図に記録され江戸時代を通じて維持されました。

 明治時代に入り、日本人による鬱陵島への渡航が再び始まりました。多くの漁民が鬱陵島に行くようになり、その途中竹島に寄港していました。明治20年代の終わりごろからは隠岐の島民たちが竹島でアワビ、アシカ等の漁猟に従事していました。

 このように竹島は歴史的にみて日本の領土であることは疑いありません。

ブログランキング参加中 にほんブログ村 士業ブログ 社会保険労務士(社労士)へ クリックで応援よろしく!

Suppliered Link

 労務管理はプロにお任せ homepage3.nifty.com/f1koubou/

就業規則の整備で労使間のトラブルを事前に回避!
福岡の中小企業を応援しています・・・ご相談無料

|

« 中国人が減ったから?西洋人の観光客が目立ってきました | トップページ | STOP!!飲酒運転 交通安全の集い講演聴講 »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ルーマニアの事件を思い出しました:

« 中国人が減ったから?西洋人の観光客が目立ってきました | トップページ | STOP!!飲酒運転 交通安全の集い講演聴講 »